2012年4月30日月曜日

ミツバチミツバチ

























数日前。
分蜂に失敗して、日本ミツバチさんたちはどこかの林の木のうろに住まいを見つけたのだろうと思う。
管理できないから蜜も蜜蝋も取ることはできないけれど、考えようによっては谷保のどこかに日本ミツバチが生息しているというのも面白い。
残念だけど。

今朝畑にいったら、大工のTさんが分蜂に備えて準備の真っ最中。
そこで巣箱の中をのぞかせてもらった。

段ボール箱を納屋に置いとくからさあ。
えッ!?
網じゃなくてこれに入れて欲しいんだよね。
あー。
入れたらテープで押さえといて。巣箱にはそれからいれるから。
私はほうきで蜂の塊を段ボールにいれるんですよね、やっぱり。
頼んだよー。
ええまあ、頼まれましたー。

雨が降った後の午前中。
みんな畑の奥でほうきを持った私が何やらうごめいていたら、それは分蜂ということで。

ジョージ三世

安らかに寝ておったのに
誰じゃー、起こしおったのは。

2012年4月29日日曜日

用水そうじ

何年前だったか。
用水の掃除をさせてください!と市役所に行ったことがある。
用水組合の方たちの作業が大変なら市民が手伝える仕組みをつくればいいのだ、と思ったから。
でも、それは拙速。

数年かけてようやく市民が手伝えるところまできた。
今日はその予行練習。
協議会委員として参加して草刈り、ゴミ拾いをするのだ。
通水されるのは5月21日。
これから田植え準備で大忙しになる農家の方たちは、今日各地域で一斉に用水そうじをする。

手つかずの自然ならともかく、身近な自然はこうやって維持されてきた。
里山も用水も畑も田んぼも湧水も。

用水そうじが早く終わったから、ママ下湧水の草刈りへと出かけていった。

湿地と湧水。
ここもこの環境を保全するために地道に仕事をされている市民たちがいる。

作業の合間。
雨蛙が声をかけてくれた。

そして、こどもたちが一生懸命遊んでいる。

こどもたちの記憶の箱にこの風景はしまってもらえるだろうか。
水の匂い、風の匂い、草いきれ。
自分の汗の味さえも。

そんな記憶が遠い将来、この風景を守る大きな力になると思うのだ。

2012年4月28日土曜日

日本ミツバチ

朝畑へ行ったらすごい羽音がしていた。
見上げると林のところに蜂が柱のようになって飛んでいた。
慌てて巣箱にいくとこの通り。

すごいことになってるんですけどー。
思わず電話をした。

多分、分蜂しようとしてると思うんだよねー。
どうしたらいいですかー?
これからそっちに行くからそのままでいいよー。

 電話の時には御岳にいた大工さん(巣箱を置いた方)がみんな畑に戻ってこられたのは数時間後。

話しによると、柱のようになって飛んでいたのは先遣隊で、新住居を探し、見つけるとこの塊を誘導するのだそう。

そして戻ってきた時にはこの塊はなかった。
つまりこの塊がないってことはもう引っ越ししてしまったってこと。

あーーーーーーッ!!!!
分蜂しっぱーーーーいッ!!!

8月までにもう数回分蜂のチャンスがあるらしい。
雨の後の暑い日。午前中。
また塊ができていたら、虫網と箒でそっとこの塊を取り、新しい巣箱にいれるのだ。

虫網渡された。
私ってことですよね。
そうですよね。
日本ミツバチ刺しませんもんね。
うーーーー。
蜜蝋ほしさに頑張るさ。

2012年4月27日金曜日

みんな畑

私が運営しているコミュニティガーデン「みんな畑」の名前は、
今年中学生になった女の子がつけてくれた。

よく「みんな畑 」と間違えられたりするのだけれど、
所有格の「の」が入っていないところが良いと思っている。
とても抽象的かもしれないが、誰のものでもなく、
いろんないのちが等しく一緒にいて(もちろんひとも)、
この場を共有している、そんな感じを表しているのだと思う。
本人は詳しくは説明してくれないけれど、直感的にそう感じたんだろうなあ、
と勝手に思っている。

種を蒔いたものも蒔かなかったものも芽吹く畑。
この畑でいきている、トカゲ、蛇、やもり、蛙、とんぼ、蜂、蜘蛛…そして鳥たち。
いろんないのちが溢れている。

私たちは、この溢れるいのちの中に生きている。













雨が降っている。
今日は作業は休み。
けれど、鳥は小さくさえずり、蜘蛛たちは雨に耐えている。



2012年4月26日木曜日

田んぼで遊べ! くにたちどろまみれ2012

昨年、やぼろじのオープニングパーティと同じ日に開催された「くにたちどろまみれ」。
残念ながらかぶってしまったんですよねー。
どしゃぶりの中、こっちにもあっちにも参加された方がいて。
行きたかったー!

という訳で、今年は一緒に「くにたちどろまみれ」開催。
昨夕はその打合せ。
昨年は古民家前の田んぼでしたが、今年は国立三中横の田んぼです。
ドロにまみれて遊び、
くにたち野菜を使った屋台で楽しみ、
ライブでのんびり、の一日を。

6月3日(日)10:00-16:00
国立三中横の田んぼ。
http://kunitachi.tv/doro2012/
「どろ舟レース」「どろっじぼーる」のエントリー受付中です。

詳しくはまた後日ー。

2012年4月25日水曜日

さんぽ


きょう〜は〜♩
いいて〜んき〜♩
〜♩てんきのいいひは〜
おさんぽだ〜♩〜

(なかのひろたかさん、勝手に使ってごめんなさい!)


2012年4月23日月曜日

あな恐ろしや

 みんな畑にも、やぼろじの前庭にもある。
「地獄の釜の蓋」。
それがこの植物の名前。
私はこの紫色の小さな花が地面にひろがっている様が好きで、少しずつあちこちに植えている。
どうしてこんな名前になったのか。
説明されている文を読んでも?な感じ。

きらんそう。シソ科でアジュガの仲間。
金瘡小草と書くらしいけど、瘡という字がどうも。
金襴草とも書くらしい。こちらは豪華な感じですけど。
キというのは紫を表す古語,ランは藍色という話しもある。

名前って不思議。
何を感じるかによってこんなにも違う。

手の力

土曜日。
ラオスの少数民族の方たちと一緒に働いている谷由起子さんの展示会へでかけた。
レンテン族の藍の布、服。
クロタイ族の シルクのショールや服。

「ゼロからの服づくり」
桑畑を整え、蚕に卵を産んでもらい、養蚕し、糸を引き、撚りをかけ、染色し、布を織り、その布を裁断し、縫製し、服という形にする、というもの。

そして、その仕事がすべて手でなされている。
縫うのもミシンを使っていない。

驚くほどの細かさで手縫いされている服やエプロンやカード入れや。
ひとはここまでの仕事をすることができるのだなあ、と本当に見入ってしまう。
そして魅せられる。

だが、この仕事も消えてしまうかもしれない瀬戸際に立たされているそうだ。

ベトナム戦争の時ですら、戦火の中を逃げながらも昼間隠れながら布を織っていたとか。
そしてその布は、今つくろうと思ってもつくれないほどの布だったとか。
それが今、中国のプランテーションに押されて、手仕事が賃労働にとって替わられようとしているそうだ。

谷さんはいう。
「細かく美しく力のこもった縫い目です。こんなことをできる人たちが今世界で一体どれだけいるのだろう、この人たちの力も、世界中の多くの人が失くしてしまったように、そのうち消えていくのだろう、ああなんてもったいないのだろう、どこかに道はないのだろうか、そう思うと悔し涙が出てきます。」

都会に農地なんか。
農業は消えていく仕事。
そして自分たちのいのちをうみだすものを外国に委ねようとする。
国立ほどの小さい市で、農地を農業をなんとか残していけないかとごまめの歯ぎしりのようなことを している私にとって、谷さんの悔し涙は他人事ではない。

自分たちの生き方が問われているのよね。
そう。そうですよね。

手の力を私は信じる。


雨宿り

雨降りの日は雨宿り。

2012年4月20日金曜日

訂正いたします

先日ブログに書かせていただいたこと、訂正させていただきます。

なんて。
でも方針転換やー。
菜の花を整理しようと思っていたけれど、日本蜜蜂さんのために蜜原として残しておくことにしました。

みんな畑の日本蜜蜂さんの分蜂(ブンポウ)が始まるかもしれず、巣箱2号が登場したのです。
だから蜜原を残しておいた方がいいよね、ということで方針転換。

日本蜜蜂は羽音も優しく、菜の花にきても微笑ましいかぎり。

1番目の分蜂では母の女王と働きバチが巣を離れるそうですが、うまくいくでしょうか。


ライ麦

2009年11月、開墾間もないみんな畑に、ライ麦、南部小麦、農林61号、ニシノカオリの4種類を蒔いた。
土を肥えさせるために。

そして2010年11月、ライ麦、ライ小麦、ニシノカオリを蒔いた。

2011年には麦は蒔かなかった。
刈取りや脱穀が大変でちょっとめげたこともあったし、野菜を多品種育てる計画だったから。

そして、2012年春。
こぼれ種でライ麦が畑のあちこちから芽をふいた。
春になりぐんぐん背丈をのばし、出穂し始めた。
麦秋まで後2ヶ月。

それにしても、いちごといい、ジャガ芋といい、麦といい、こぼれ種ででてくるものがいろいろ。
もうすぐトマトもあらわれるんだろうなあ。

2012年4月18日水曜日



太陽が圧倒的な光を放つ。
雲はそれぞれの役割をもって空にある。




2012年4月17日火曜日

ごちそうさまでした

菜の花が咲き始めた。
もう野菜としての菜花はおしまい。
花もほんのりとした苦みと香りが良いのだけれど、やっぱり商品価値としては、ね。
ポキンポキンと折ると、どんどん脇から出てくる。
だから花を見た時、食べきれなくてごめんね、と思ってしまった。
これから、種取りのために咲かせる花を除いて整理してしまう。
花を楽しんでもらうためにご近所の方たちに花のおすそわけをして、菜の花にさよなら。

ありがとう!
そしてごちそうさまでした!
また来年よろしくね。

ありゃーッ

今朝。
やま森カフェに最後のネギを出荷した後、畑の草刈りをしていた。

あ、イチゴ。

わからなかったけどいたんだねー。

ひょっとして…と思って傍をみたらもう一つあった。

これだから、草刈りって楽しい。
そして手で刈る意味があるってもんだ。
発掘しちゃったみたいな気分。
そうしたら、今度はじゃがいも。
ちゃんと畝に種芋を植えたんだけれど、これは去年の忘れものだと思う。

いやはや。

もうないか、と探したら。
発見。
あと二つ。

桃の木の下に楽しみが増えた。








2012年4月16日月曜日

月曜日は…

全治一週間てとこかなあ。原因不明だけどね。

先週月曜日に我が身に起こった異変のため(心配されるから)病院へ行った。
そうしたら何のことは無い、こんなお言葉をいただいてしまった。
ついでに調べられたら、大丈夫きれいなもんだ、と太鼓判を押されてしまった。
まあ、そういうものなのでしょう。
もうひとつのことは、今週病院へ。
そっちも多分大丈夫だねー。

ということで。
月曜日はやぼろじのガーデンワーク。
イングリッシュガーデンをつくったデイヴィッドさんが帰ってきたので、彼の指示を受けながらの作業。

もうイングリッシュガーデンではない、とデイヴィッドさんがいうこの庭をイングリッシュガーデンにするべく奮闘中。

草を取り、植込みの準備。

ちょっとぼーっとしていると、MAYUMIーって声がかかる。
はいはい。
そして他の人たちに、MAYUMIが花を殺しちゃった、とほざく。
いやいや。

デイヴィッドさんと出会ってもう三年近くになるだろうか。
デイヴィッドさんが日本を離れる時は、私が苗を預かったり、庭の管理をしてきた。
だから、一度ジギタリスを枯らしたことで冗談めかしてこういうのだ。
これから一ヶ月間、デイヴィッドさんの指導のもと庭づくりに励む。
一緒にガーデンワークしたいかたは、月曜日10時にやぼろじへどうぞ。



そして午後からは、やぼろじの前庭の作業。
私の主担当はこっち。

春がくると、植え込んでおいたものが花を咲かせ始めるのが楽しみ。









 庭のあちこちに小さな花を咲かせている。












そっと咲いている。




このところきれいに咲いていたバイモユリや水仙が終わり、もうすぐコデマリや桜草などが咲き始める予定。

ギボウシもいっせいに伸び始めた。
いろんな種類を植え込んでいるので、葉も花も楽しめる。

やぼろじの庭でのんびり楽しんで欲しい。


こどもたちによるこどもカフェ 第一回ワークショップ

4月14日(日)9:30-12:00
こどもたちによるこどもカフェのワークショップが始まりました。

今回は、どんなカフェにしたいかのイメージだしです。

首都大の学生さんたち(4年生+M1年)が、たくさんの写真をもってきました。
その中から、3枚こんなカフェにしたいというイメージを感じる写真を選びます。

見た瞬間に選んでいく子、最後まで選べなかった子、さまざまです。




4つのグループに分かれてワークショップ開始。

それぞれ自分の意見を話し、それをまとめていきます。
写真を選べなかった子も、ここでは自分の意見をしゃべっています。

まじめに、かつ大学生をおもちゃにしながら、あーでもない、こーでもないと、話しをしてイメージをふくらませていきます。






立川のマイテレビの取材が入っていました。

カメラが入っていてもなんのその。
そのこと自体を楽しんでいます。

そしてイメージだしは続くのです。











話し合ったイメージを模型に加えていきます。

具体的なイメージを表現できるように、学生さんたちがさまざまなものを用意してきてくれました。

が。
自分たちでつくったり、学生さんにつくらせたり。

いやー、もう。

学校ではやりたいようにやれないからねー、と小学生がぼやいてました。

そして各グループの発表。

今どきらしく、がいいね!といってますシールを貼ることに。

グループそれぞれに違ったカフェができました。

屋根に天窓をつくるグループも。

技術的にはできなくない、とは首都大の饗庭先生。

そりゃそうです。
天井外すのだってできますよー。
ホントにするかは別だけど。
そんなのはもっと後に考えること。
ということで、今回はここまで。

次回は、どんなものが食べたいかについて。
食べたいものを考え、材料、調理方法、必要な調理器具を調べてくるのが 宿題となりました。

次回は、炊き出しカレーでお昼です。


2012年4月13日金曜日

野良ー!

今日はいつもの作業日。

種まき。
支柱立て。
草刈り。

することはあります。

さて。
野良豆(ソラマメ)。
花が咲いてきました。
ちょっとおもしろいでしょ。

今は良いのですが、これがもうすぐ虫がつきはじめるのです。

虫さんたちに退去していただくための方策をあれこれ考えなければなりません。

石けんをものすごーく薄めて霧吹きでシュッとすると良いとの話しも聞きました。
今年はどれほど食べることができるでしょうか。

2012年4月12日木曜日

天中殺?

月曜日。
起床した後からいろんなことが起こり始めた。
まずは身体的事象。
それでも痛くも痒くもないからやぼろじのガーデンワークに。

火曜日。
携帯をなくし、パソコンが使えなくなり、なんと小型の金庫までがなくなった。
火曜の夜はもう眠れない。

水曜日。
携帯は見つかった。パソコンも何とかなった。でも金庫はでてこない。

こういうのを踏んだり蹴ったり、っていうんだよね。

ぼやいていたら、畑の家のボランティアスタッフをしてくれているUさんが、

すがいさん、ライフラインが細すぎます。って叱られた。

この数ヶ月、私自身の環境が激変し、私という人間の存在証明がすごく大変になっているのを実感している。
なにしろ契約、というヤツをしてもらえない。
携帯もPCも無い状態になると、私というひとはまるで宙に浮いてるみたいなのだ。
社会的には、とても曖昧で不安定な立場にいる。
だから、Uさんにライフラインが…って言われるのもわかる。

でも、私のような状態でもできることがないか一生懸命iPhoneで調べてくれるUさんのような人がいる。
私の身体の異変に一番に気がついたお隣さんは 、大丈夫?って声をかけてくださる。
私に何かを感じて、わざわざ気遣って出かけてきてくださる方もいる。

便りが無いのは、元気じゃない証拠。

昨夜友人から電話があった。
すがいちゃんのことだからさあー、と、あれこれ話しをしてくれることが嬉しかった。
電話を切ったら50分も話していた。
でも、メールだと声が聞けないもんね。

無意識に、緊張しながら暮らしていて、多分もう踏ん張りがきかなくなってきていたのかもしれない。

それでも季節は過ぎていく。

啓示、と思って素直に受け入れようと思う。

2012年4月9日月曜日

やっちまいました

いやー。
メールがきましたよ。
自転車ツアーの日にちはいつ?って。

やぼろじのブログからコピペしたのがもろわかり。
すみませんでした!

ひとと自然にであう谷保・自転車ツアーの日程は、5月13日(日)です。
よろしくお願いしまーす。

矢川緑地

昨日の自転車散策の続き。

滝野川学園の正門を出た正面ちょい右に、古くて壊れている(と思われる)カッコいい車があるのが不思議だったけれど、それは見るだけにして左方向へいくのであります。

その先に、小さな花やさんがあります。
庭に咲いているものをそっと置いてある感じです。

そして矢川。
川端の洗い場。今も使われているといいなあ。
それにしても良い天気だったです。水が輝いてますね。
コンクリートで固められていない川辺はいいですね。
すぐ傍に新しい家が建っているのですけど。

ザリガニがいたー!ッて大声をだしていたのは、近所の母子。
嬉しい光景。
矢川緑地到着。
ゆっくり歩きまわり、春を堪能していたら、足元に土筆。
思わず、佃煮ー!って浮かんだけれど、そこは公園。
とっちゃまずいよね、と思って、五本だけいただきました。

桜も良いけれど、木々が芽を吹き出して柔らかな緑色を帯び始めているのも美しい。
水のなかからも芽吹きがあるし、水の流れの音なんか、もう、ほんとうに。
ただ、カラスが多くてその声がうるさいのと、そばで眼飛ばされたのにはまいりましたけどねー。

ところで。
私の自転車歴はまだ1年くらい。
乗れないから三輪車を買おうとしたら、谷保の自転車屋さんに『試しに乗ってみて』 といわれ、乗ってみたら『乗れるひとだよ』と言われて、そのように調整してくださったところから始まったのです。
二輪車にも乗れるようになって走っていたら、自転車さんに『おてんばだねー』と言われましたです。

なので、ツアーに参加されようと思っている方がた。
大丈夫。






2012年4月8日日曜日

ひとと自然にであう谷保・自転車ツアー 申込開始です

 やぼろじガーデンパーティーの中の企画です。

ひとと自然にであう 谷保・自転車ツアー /5月13日(日) 9:45 ~ 12:00

崖線下にある田んぼや畑、湧水からの流れなど、国立とは少し違った風景が、
谷保にはあります。
魅力あふれる谷保の風景をつくっている農地や、水の流れと、農地保全のために
さまざまな努力をされている人たちに出会うための自転車ツアーです。
【見学予定地】 国立BBQファーム(小野淳さん)|有機農家(北島勝俊さん)
|城山 古民家|おんだし | ママ下湧水 | 滝野川学園(矢川と聖三一礼拝堂)
※集合・解散場所は「やぼろじ」です
【定員】    10名(要予約)
【参加費】   500円 ※必ず自転車でご参加ください(飲み物持参)
【ご予約方法】 E-mail mail@yabology.com まで 
①お名前、②所属、③ご連絡先 ④人数を明記の上、
件名を「谷保・自転車ツアー予約」とし、メールにてお申込みください。
※定員になり次第締め切りとさせていただきます
【ナビゲーター】すがいまゆみ(野の暮らし

申込は、私のメールアドレスではありませんのでお気をつけください。

おんだし

矢川の流れが段丘崖を下って府中用水や湧水と合流する地点が、おんだしと呼ばれている。
谷保・自転車ツアーの最後は、このおんだしに流れてくる矢川が流れている滝野川学園を予定している。

という訳で、やま森カフェに菜の花や野良ぼう菜を出荷?した後に滝野川学園、矢川緑地
までの自転車散策。

滝野川学園の礼拝に間に合うように行ったつもりが、途中のんびりうろうろしていたら、
礼拝の最後になってしまった。

そっと入っていったら、アグレアブル・ミュゼの妙香さんと石田さんが。
滝野川の礼拝はすごく自由な雰囲気で大好き 、と言っていらしたっけ。

礼拝堂の中には、日本で最古級のピアノやオルガンがある。
礼拝が終わった後、妙香さんがそのピアノで賛美歌を弾いてくださった。

やわらかくて、まるくて、ふかくて、つつまれるような音だった。

その礼拝堂には、 居住されている方たちの働く姿が、ステンドグラスのように描かれていた。

そして、妙香さんたちの後をついて、講堂までいった。
講堂の階段からみあげた桜。
満開。美しかった。

矢川が学園の中から、おんだしの方へと流れていく。






















コンクリートの三面ばりをされていない流れ。
向こう側に高速道路がみえる。

ツアーの中にこの施設をいれたのは、もちろん矢川の美しさと聖三一礼拝堂を見て欲しい、というおもいから。
ただ、しょうがいのあるこどもの親として、『施設』というものには特別の思いがある。

差別ではなくて区別しているだけ、という差別。
そこにいきたいと言ってもいかせてもらえない障壁。

ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンといっても、ほど遠い現実。
けれど、この学園の創設者がただの同情で設立したわけではないことぐらいわかる。

親のほうが多分先に逝くだろうという思いの中で、こどもたちの行く末を考えないひとなどいない。
しょうがいしゃ、と呼ばれるひとたちがこのまちに生きていることをわかってほしい。

さて。
少し、重くなりました。
次回は矢川緑地報告かなー。

柳の新緑が美しかったー!

2012年4月7日土曜日

満月

昨日というべきか今日というべきか。

深夜にメールの音で目が覚めた。
ふとみると、カーテンにプルーンの木の影が映っていた。
もしやと思いカーテンをあけると満月

それから布団をずるずる引っ張って寝ながらの月光浴。

雲一つなく、まるで冬の空のように、凛としていた。

願いごとかなうといいなあ。

2012年4月6日金曜日

野にでよう



















野良。
屋外で作業することを野良仕事、といったりする。
私は、この野良ということばが好き。
野が良い!だからね。

自分たちの生活のすぐ近くに、自分たちのいのちをうみだす野菜たちが育つところがある。
家々が隣にあり、そんなに広い畑ではない私たちの『みんな畑』でさえ、 季節の移ろいを実感できる。

そして、一人ではなく力をあわせてつくる。

足元のソラマメ(野良豆)も支柱をたてているスナップエンドウも、春の嵐のあとぐんぐん育ってきている。
ソラマメは花も咲いた。

今日は、小かぶ、人参、インゲンなどの種まき。

野にでて、想いをかけて育てた野菜が、やぼろじのやま森カフェのおかずになる。

おなかだけでなく、こころも満たされますように。






2012年4月5日木曜日

くうき

昨夕。
畑の家からメンバーたちとでてみたら、空に月が光っていた。
青みを帯びたくらい空に雲一つなく、月と星。
いつもと違う感じがしたのは私だけ?

今朝。
外にでて、確実にくうきが違うと感じた。
一昨日の嵐がきっとくうきの入れ替えをしたのだろう。


本田さん家に寄って見た。

昨日はまだほんの少ししか咲いていなかったのに、今日は…。

そして畑では、桃の花が咲き始めようとしている。

2012年4月4日水曜日

地道な仕事

畑を一緒にやっている明峯惇子さんから、長野浩子さんの本を紹介された。

長野さんは、法政大学エコ地域デザイン研究所の研究員の方だ。
日野で市民の環境保全活動調査や用水調査などをされている。

城山南の区画整理事業を聞いた時、20世紀型の区画整理ではなく自然や歴史や文化を大切にした区画整理ができないものだろうかと、藁をもすがる思いで連絡をとった方でもある。

明峯さんも私もかつては日野市民だったし、せせらぎ農園の佐藤美千代さんとも、NPO法人やまぼうしを通じての知り合いでもあって、長野さんとも幾重にも縁が重なっていた。







その長野さんの本。
一気に読んでしまった。
日野の自然保護活動家・郷土史家でもあり農家でもあった田中紀子(たなかとしこ)さんという方の文章や短歌にこめられた、環境保全や農地保全や市民運動に対する思いをまとめられていた。
どんなときでも諦めずに日々をすごしてきた信念があふれているようだった。

そして、それは長野浩子という人の信念でもあると感じた。
長野さんの地道な活動が成してきたことは大きい。
日野と国立。
違う地にいながら同じような課題に向き合い、なんとか農地保全ができないかと頑張っている。
国立も正念場にきている。

長野さん、私も諦めずに地道に仕事をしていきます。



2012年4月3日火曜日

プランターコテッジ

風雲急を告げる中、植村良子さんわたなべいくこさんの二人展をみにいくためにプランターコテッジへ出かけて行ったのであります。

雨が降る前に帰ろうとそのときは思っていたから。

良子さんの帽子やデジカメケース。
うさぎのぬいぐるみも。













棚の中にあるのは、大好きな野菜シリーズのバック。
青い帽子のひとが良子さん。


わたなべいくこさんの絵。







まだ外は穏やかな光。

良子さんのパンツ。


わたなべいくこさんの絵と布、くるみボタン。

絵描きさんがさす刺繍は自由で具象とも抽象ともいえない不思議で迫力がある。




















みていたら、知り合いがやってきてなんだかんだと話しをし…。
そうこうしていたら、プランターコテッジをつくった小池家族が午後からやってくると聞いてしまったから、はい、もうずぶぬれの覚悟ができました。

プランターコテッジは、二軒長屋の平屋を、小池雅久さんが草をまとう家につくりかえた場所。
私にとっても思い出深い場所なのです。
久しぶりに小池夫妻の顔をみて近況を話し安心して帰ることにしました。

そのとき外は既に嵐。
ゴミ袋をもらって貫頭衣よろしく穴をあけ、リュックを前に抱いてかぶりました。
naoカフェのなおさんの助言さー。

革のジャケットに見えるとか宇宙人みたいとか。
すごい風が吹き荒れる中、私は谷保へと自転車(今日は二輪車)をこいで帰りました。
いやー、ちょっと、あの風のなかを自転車こげるんだから 私ってすごいかも。

良子さん、いくこさん ありがとう。
小池雅久さん、つねこさん ありがとう。
また長野へいかせてください。


春の嵐

午後から嵐がやってくるとのこと。
早くに畑へ。

突発的な風の音。
低く地鳴りのように響く音。
笹たちのひしめき合う音。
隣の公園の木のこすれあう音。
どこかでパタンパタンと繰り返し鳴る音。
鳥たちの声。

たくさんの音が溢れていた。
それが不安にさせる。

























足元には、ソラマメがまもなく花を咲かせようとしている。

2012年4月2日月曜日

レコードカフェ終了しました

3月31日。
レコードカフェが無事終了しました。
定員いっぱいのお客さまでした。
赤ちゃんをふくめ4人のおこさんから年配の方まで。
全回参加のかたも初めての方も。
近くの方も遠くからお越しの方も。
いろんな方たちに来ていただいて本当に感謝!!です。
ありがとうございました。

形を変えながらの三回目。
全回参加のかたに、今回が一番良かったと言われたのも嬉しいことでした。

三回続けてきて、また次回の形が変わるかもしれません。
実際にやってみて、考えて、調整する、ということをやってきました。
次がどんなふうになるのか。
楽しみです。

助廣哲也さん 大変ななかありがとうございました。
丸山晶崇さん ありがとうございました。
アシスタントをしてくださった藤田倫子さん ありがとうございました。
厨房を担当してくださった ゆうくん 佐藤弘子さん ありがとうございました。
全面的に協力してくださった やま森カフェのみなさん ありがとうございました。
そして来てくださったみなさん ほんとうに ありがとうございました。

(※写真等は後日アップしますね。)




ひとのにおい

私が通ってた高校は進学校だった。
東大、京大、九大、長大、どれだけの大学に何人合格したかを競うのが好きな学校だった。
県立高校に進学するしかなかった私は、嫌いでもどうしようもなかった。
私は、といえば、入学間もなくおこなわれた志望大学調査に『長崎大学文学部』と書き、翌日教師に「長崎大学に文学部は無かー!」と大目玉をくらうような生徒だった。

それでも、話しができる先生たちが数人いた。
なかでも、美術の先生とは仲が良かった。
近所に住んでいたので、登校の時に出会うと車に乗せてくれた。
先生の愛車のおんぼろフォルクスワーゲンが待っている駐車場にいくためには、私たちが歩いて行く方向とは逆に小学生たちがやってくる道を通らねばならなかった。
わらわらとやってくる小学生たちの間をぬうように歩いていた時、先生がいった。

なんで教師ばしとると思う?

先生は、画家としても生きていけるひとだった。

ひとのにおいばかいだけんさ。

ひとにはそれぞれ違った個性があって、それがにおいのようにたちのぼってくる。
そのにおいはたまらなく魅力的で、それをかいでしまったからアトリエでひとり描くというのはもうできない。
ひとのなかにいて、いろんなことがおきて、そして絵を描いているのがいい。
だから教師をしてるんだ、といった。

せんせい。
わたしもひとのにおいばかいだごたっです。

おすそわけ

きのう帰宅したら…











そして私は…