2013年5月6日月曜日

思い出す


4月5月は、母と父を亡くした月。
だから、なんとなく、母や父を思い出す。

偉丈夫でハンサムだった父。
私はこどものころ、父のことが大嫌いだった。
信念の人で、その信念のせいでこんなにいじめられるのだと思っていた。
お腹が痛くて痛くて学校になんか行きたくないのに、病院へ連れて行かれ、
どこも悪い所はないから、と学校へ行かされた。
行きたくなかった。学校なんか。

死ねばいいのに。
そんなことばかりを考えていた。

少し父への感情が変化してきたのは、中学生を過ぎてから。

高校生になって、母に、どうして父と結婚したのか、と聞いた。
母も私と同じく、父の信念の犠牲になったと思っていたのかも知れない。
そうしたら、好きだったから、と実にあっけらかんと答えられた。
自分が父を選んだのだと。
母が父より年上なこと、父の仕事に対することなどで、双方の親たちに反対され、
駆け落ちしたのだといった。

へんな気分だった。
父と母の間に恋愛というものがあったこと。
二人が自分で決めて生きてきたこと。

犠牲になんかなってないよ、そう言った。

私が東京へ行き、仕事を始めた頃、母の手術で呼び戻された。
父は、入院している母の病室には入らず、廊下で本を読んでいた。

病院にきてるとに、いっちょん部屋に入ってこん。
母は不満顔だった。


それから母は入退院を繰り返した。
その間に私はこどもを産んだ。
母は病気の身体で、私と産まれたばかりのこどもの生活を支えてくれた。
一ヵ月後。
父は、東京に出張のついでがあったから、と、母と箱根に泊まり二人一緒に長崎へと帰っていった。

それから10ヵ月後に母は亡くなった。
私は毎日母にはがきを送ったけれど、母の癌に気がつかないだめな娘だった。
母が亡くなって、あの本ばかり読んでいた廊下で、実は父は本など読んでいなかったのではないか、と気がつくバカな娘だった。

ハンサムな父に、美人と結婚してくれていれば私は美人に生まれたのに、と言ったことがあった。

そしたらお前は生まれとらん。
一言で片付けられた。

父と母。
二人の間に私は生まれた。

死ぬために生きることを教えてくれた二人。
ありがとね。

毛刈り顛末記

4月28日。やぼろじのガーデンパーティに合わせアマエルの毛刈りをしました。

アマエルの小屋前を臨時駐輪場にしましたが、そこも溢れていたようで、みなさまにご迷惑やご不便をおかけしたことと思います。
申し訳ありませんでした。
それにも関わらず優しく見守っていただき、感謝!です。
ありがとうございました。

そして、みんな畑でフェルトのワークショップをしてくださったR.ECHOさんありがとうございました!
こどもも大人も色とりどりにつくりましたね。

さて、初めての毛刈り。
プロを呼ぶのは(お金があれば)簡単だけど、農的生活をおくるには自分で出来た方がよいから、素人毛刈りをしようと決めたのです。
ヒツジ用バリカンは8万くらいするし、明峯かあさんの北海道のお友だちは、ふつうのハサミでも大丈夫とおっしゃったとかで、ハサミを研いで準備してはしていたものの。
したことないことだから。
やっぱり、ね。
最初にアマエルを押さえるとき、山根かずきバンドのベース福成優さんが押さえてくださいました。
福成さんは、バンドの傍らノイフランクでお勤め。
だから誰かが、
ソーセージにしないでよ、と。
うちは、牛と豚しか使ってませんから、との返答。
そこへ明峯かあさんが、
ヒツジの腸を使ってるんでしょ、って。
こらー、こどももいるのになにブラックな話してるんだよ〜。

そこへ微かに太鼓の音が。
太鼓を聞きたいんだ〜、と福成さん退場。
そしたらちょうど良い具合に、本来の助っ人加藤萌美さん登場。
牧場で働き、毛刈りもしたことあるだけに、一人でアマエルを押さえ…。
そして飛び入り参加してくださった田中和歌子さんと明峯かあさん、すがいの3人でハサミでチョキチョキ。
油が多くて少しづつしか進まない!
皮膚を切りそうで恐い!
でも切らなきゃ!

刈ったの持っていこうか? と小野円さん。
写真を撮ってくれている小林未央さん、ながはらゆうこさんが垣間見えた。
知っている方たちの顔も見え隠れ。
にっこり笑って返事。なんかできないよ〜。
ごめんね。

そうして1時間20分。
一大事業は幕を閉じたのでありました。
刈った毛はおよそ3キロ程。
アマエルは、山羊のような面持ちになったのであります。

来年3月に毛刈りの講習会があるから、と加藤さんが教えてくださった。
その講習会を受けると、女一人でも毛刈りができるらしい。
毛刈り前

毛刈り後。ぶしゅん!
と、いうことで、来年私はその講習を受け、また皆さんの力を借りて、30分で毛を刈る、ということに挑戦致します。


刈り取られた毛は、これからの作業。
それはまた別の日に。

2013年4月24日水曜日

ひつじちゃんブローチづくり

やぼろじのガーデンパーティが4月28日(日)10時〜16時開催されます。

野の暮らしは、みんな畑で、
植村良子(R.ECHO)さんの「羊ちゃんブローチづくり」ワークショップが行われます。

*フェルトボールヘアゴム作り 500円
羊毛からフェルトボールを2個作り、穴を開けてゴムを通しヘアゴム作ります。
小さいお子さんから作れます。
ハンドタオルお持ちください。

*羊ちゃんブローチ作り 1個500円
絵本などから羊ちゃんの絵を選び、フェルティングニードルで羊毛から羊ちゃんを作ります。
ゴムを付ければヘアゴムにも出来ます。
お子さんはニードルで指をさす場合があるので大人の方だけ。
絵本の用意ありますが、作りたい羊ちゃんの絵があったらお持ちください。

残念ながら 今回のフェルトは、未だアマエルの毛ではありません。
ワークショップの傍らで、13時からはアマエルの毛刈りも行います。

ぜひ遊びにきてください。

いよいよ毛刈りなのだ

背中にファスナーがあって、その時が来たら脱いでスッキリ。
なんてことがあったら面白いかもしれないのに。

でも。そうはいかないようなので。
毛刈りします。
素人毛刈りです。

4月28日(日)13時ころから開始します。

この日は、やぼろじのガーデンパーティ。
野の暮らしは、みんな畑で、午前中からR.ECHOさんの「ひつじちゃんブローチづくり」「フェルト玉髪飾りづくり」(詳細別項)のワークショップと、絵のうつわさんが「アマエル写生大会」を行っています。

そして13時から毛刈りです。

毛のあるアマエル、毛のないアマエル。
どんなことになるのやら。

来てね〜!

2013年4月22日月曜日

先祖になる



4月20日、土曜日。
10:20の一回しか上映していない「先祖になる」を観に、ポレポレ東中野へと出かけた。

みんな畑のセンセイ明峯さんが、「すごく痛快でおもしろかったわよ〜」と大絶賛だったのもあって、観に行くことにした。

陸前高田。
津波で長男を亡くした77歳(当時)の直志さんが、家を建てるドキュメンタリー。
観て直ぐにびっくりしてしまった。
見覚えがあるところだったから。
昨年秋に陸前高田に行った時に、車を降りて歩いた場所の直ぐ上に直志さんの家があったのだ。
昨年秋に見た森や枯れた杉や匂いを思い出した。
とたんに涙があふれてしまった。

直志さんは、津波に襲われ、長男を亡くし、まだ遺体が見つかる前から、耕作されていない田んぼを借り、籾まきをし田植えの準備をされていた。
がれきをどかしただけの場所に蕎麦の実を蒔いてもいた。
自分が持っていたキュウリの種が流され、自宅から離れた場所で芽吹いていた。
自給自足すればいいんだ。
水さえあれば生きていける。
木こり半分、農業半分で生きてきた直志さんは、そう言いきって土を信じて耕作される。
津波がなければ現役を退くはずだったのに、自分が伐った木で家を建てると決めたから現役を続行されている。
自分には時間が無いんだ、と。
前立腺がん。治療もままならない。

法律は誰のためにあるのか。

まちは誰がつくるのか。

まちに生きる人びとに、考えがあり、志があり、感情がある、と実感している専門家と言われる人たちはどれほどいるのだろう。

直志さんは、専門家といわれる人たちには、きっと頑固で扱いにくくて面倒くさい存在なのだと思う。
でも、数十年後のことを考えて夢を抱き、身体を動かし、少しづつ実現していく、その姿に私は夢を描く。



2013年4月10日水曜日

ワクワクとドキドキ

よく始めようと思いましたね。
誰もやっていないことを始めようと思ったのは何故ですか?
誰かが始めたことに参加することだってできるのに。

そう言われた。

そうなんだね、きっと。

一番最初って、先に何が待ち受けているかわからなくて。
風もモノもぶちあたってくるし。
吹きっさらしのなかにいるようなものだものね。

まあ、考えの浅い愚か者ということで。


亡くなった父は、私が小さい頃に、失敗してもいいんだ、ということをよく言っていた。
人生は理科の実験のようなもの。
仮説をたてて実験し、実験が失敗したら仮説を立て直し、何度でも実験すればよいのだ
、と。

失敗することは実験したということ。
仮説だけではそれが正しいかどうかわからない。
だから失敗をおそれるな、と。

コーヒーでいいや、じゃなくて、コーヒーがいいと言いなさい、と厳しい父だった。

そうやって育てられた私が、しょうがいのあるこどもを産んで、それからいっぱいいっぱい
いろんなことを考えた。

しょうがいのある子も健常といわれる子も、私のこども。
私は産み分けはしていない。
何故、しょうがいがあるが故に区別されなければならないのか。

そんなところから私の「初めて」は始まったのかもしれない。
お陰で、たくさんのひとに出逢えた。

決めればいいんだよね、コーヒーがいい、と。


決めてしまえば、先行きの不安は、何が起こるかわからない可能性に満ちた未来となる。

私だってよそ者だったのよ。
でもね、よそ者が変える力になるのよ。
馬鹿者、おおいに結構。

そう朗らかに笑ったのは、私の先行く先輩の女性。

なにかを決める。
それがどんなに小さなことでも。
自分で決める。
そうすると。
不思議なことに、つながり始める。








2013年3月29日金曜日

いよいよ明日開催です!



「国立市農業・農地を活かしたまちづくり事業」の中からうまれる「農家+市民+国立市による 新しい農園 くにたち はたけんぼ」が開園します。
そして明日は「農園祭」!!

活き活き都市農業の懇談会から始まって何年かかったかなぁ。
感慨深いものがあります。

都市に農地は必要ない、というひともいるけれど、3.11以降、生産の場が近くにあることの重要性や、農地が生産だけの場ではないことが実感されてきていて、都市農の意味が見直されてきています。

生産緑地を持っておられる農家さんの「農地として残したい」という強い思いと、でもその農地で農業できない事情を受けて、農地を残す方法として「はたけんぼ」の運営の形を考えました。
「はたけんぼ」は、野の暮らし(すがいまゆみ)+くにたちファーム(小野淳)+畦道(東信三)+北島勝俊で「くにたち市民協働型農園の会」を立ち上げ、運営することにしたのです。


明日は、一から田んぼづくりに取組みます。
そしてジャガ芋の種芋植え。
こどもたちの泥遊び場もつくりました。竹ブランコもあります。
野の暮らしみんな畑で暮らしている羊のアマエルも、くにたちBBQファームの山羊のはくちゃんも参加します。
やまもりカフェの出店もあるし、餅つき、煮い団子もあります。

多彩なメンバーで取組む新しい農園。
その初めてを、一緒に体験しませんか。
こちらもご覧ください。
「くにたちあぐりッポ」


2013年3月25日月曜日

決心

昨日、やまもりカフェで「よみがえりのレシピ」を観た。

鶴岡の在来種を守ってきた人たちと、「アル・ケッチャーノ」の奥田シェフとの出会いの話。

最後の方で涙がこぼれてしかたがなかった。

在来種の種を守ってきたお百姓さんたちは、その種を守るために、毎年毎年種を蒔き育て種子をとるのだ。
種って保管しておけばいいもんじゃない。

在来種を守ってきた方のことを考えるだけで気が遠くなるし、無条件に尊敬してしまう。
それを誰に言われるでもなく、残そうと自分で決めて、誠実に、実に誠実に育て種子を残してこられたのだ。

そのことに涙がこぼれた。
なんという意志。
誰かに評価されるとか、お金になるとか 、そんなこととは関係なく、残したい、という意志が何十年も続けさせてきたのだ。
そして、奥田さんというシェフと出会い、本人たちが味わったことのないその野菜の味の可能性をみることができた。
奥田さんはとても謙虚で、種子を残してきた人たちへの敬意をはらう。
お百姓さんたちは、嬉しそうに、心から嬉しそうに笑う。

自分で決めたことを誠実になしていく。
哲学は、哲学書のなかだけにあるんじゃないな。

2013年3月24日日曜日

ネギを植えた人

昔、岩波少年文庫で読んだ「ネギを植えた人」という話しを思い出した。

今朝、フェイスブックで私の友人が投稿した文章を読んで、ふと思い出したのだった。
その投稿は、しょうがいしゃの友人とそのひとが暮らす施設の職員の感覚の話しだった。

むかし、朝鮮のあるところで、人間が人間に見えず牛に見えてしまう国があった。
だから自分の親や兄弟さえも間違えて食べてしまうのだった。
ある日、牛を殺して食べた人がいた。
気がつくとそれは自分の兄弟だった。
食べてしまった人は嘆いた。
なんとあさましいことか。

なぜ人間が牛に見えてしまうのか。
どうしたら人間が人間に見えるようになるのか。
その答えをみつける旅に出た。

旅は長く、若かったその人は老人となった。
ようやく人間が人間にみえる国に行き着き、そこでその国の人に問うた。
どうして人間が人間に見えるのですか?
すると。
昔はこの国でも、人間が牛に見えていた。でもネギを食べるようになってから、人間が人間に見えるようになった。
と、答えた。

探し求めていた人は喜んで、ネギの種を分けてもらい、意気揚々と故郷へと帰っていった。
これでようやく人間が人間にみえるようになる!
懐かしい故郷に帰り着いた時。
お腹をすかせた故郷の人たちは、その人が牛に見えた。
殺されて食べられてしまった。
それからしばらくして。
見たことのない青い草が生えて来た。
その草は香しく、食べてみると涙がこぼれた。
美味しいその草を食べたあと、もう人間が牛に見えることはなかった。

というような話しだった(と思う)。

しょうがいしゃが、人間ではなくしょうがいしゃに見えてしまう。
人間ではなくてしょうがいしゃだから、人間である自分とは違うものと思ってしまう。
人間とわかっていたらしないことをしてしまう。
だってしょうがいしゃだから。

ネギを食べればしょうがいしゃも人間に見えるようになるのだろうか。

ネギの種を運んだ人は殺されたけれど、ネギは大地にこぼれ、芽吹き、変化をもたらした。
無名の人たちが成したことはとてつもなく大きい。




2013年3月18日月曜日

大都会、、、、、

視察に行ったのは千葉県市原市。
大東京を通過しないと行けないときたもんだ。

高層マンション、高層ビル。
その間に家々。
道路。
運河。

仕事があり生活がある。


ソーラーシェアリング実証試験見学

先週の金曜日、本来ならみんな畑の作業日なのだけれど、
「ソーラーシェアリングの実証試験」見学に行ってきた。
「国立市農業・農地を活かしたまちづくり事業」の一環。
視察、ってやつですね。

畑の上に設置されたもの。作業するのに支障はないように感じる。
畑の上にあるものが「ソーラーシェアリングシステム」。
畑の野菜と太陽光をシェアする、というもの。

植物の光合成と光の強さの関係には特性があって、各作物には一定の光の強さ以上の光は光合成量の増大とほとんど関係ないのだそうだ。つまり光には飽和点があるということ。(もちろん例外もあるけれど。)
だから、その太陽光を野菜とシェアするために、畑の上に太陽光パネルの設置をしてある。
農地法から言って構造物はNGなのだけれど、これは鉄パイプを組んでパネルを支えているだけだから構造物にはならない 、という論理。
パネルを隙間なく設置するのではなく、下の農地に光が届くように設置するため、強風や地震にも強いのだそうだ。
設置費用が安く、現実的な感じがする。


くにたち電力たちあげるかぁ、なんていう話しも出たりして。
国立でも実証試験できないかなぁ。

原発は必要ない。
基本は農業。農家に収入が入ることで農業や農地を守って欲しい。
ものすごくはっきりとした意志だった。
主催者は、長島涁さん。CHO研究所所長をされている。
庭に設置されたもの。畑のものに比べパネルが大きくなっている。

一度検索されることをおすすめする。



2013年3月14日木曜日

ひつじがやって来たーーーーーーーー!!



いやーーーーー、ホントにやってきましたよ。

熊谷への弾丸ツアーがこんな縁を繋いでくれるとは。

山羊を飼いたいなぁー、とつぶやいてはいたけれどなかなか縁がなくて飼うには至らなかったのに、あっっと言う間に飼うことになったのです。
こういうものなのですね。
畑の家にきているKさんが、小屋をつくってくれて、熊谷の緒方さんご夫妻がワゴン車でお孫さんたちと連れて来てくださったのです。

馴染めず脱走するかも、と心配もしたけれど、なんとか落ち着いてくれました。
ともかくよく食べること、そして何よりひとりぼっちがダメなことがわかってきました。
それで名前が「アマエル」。
ザビエル的なイントネーションであります。

路地を通る人たちがびっくりしながらも、みーんな笑顔で話しかけてくださいます。
嬉しいことです。
近所のこどもたちもやってきます。

みんな畑がまたまた賑やかになってきました。

2013年3月7日木曜日

羊がやってくる

熊谷のふるさと牧場から羊がやってくることになった。
以前から山羊を飼いたくて、くにたちBBQファームのはくちゃんとヤギネットワークを組みたいなぁ、なんて言っていた。
それが、山羊ではなくて羊がやってくることに。
羊は毛が利用できるし、糞は堆肥にすれば良いし、餌はふんだんにあるし、散歩できるし、とぼけた顔してたたずんでいる風情は可愛いし、で。
3月10日日曜日にやってくる予定。

そうしたらもう休めないわけだよね。
旅行に行けなくなるじゃん!
てなことはあるわけですが、それも、なんとかなるだろう。
植木等のこころであります。

ところで。
羊に対する私のイメージがある。
羊さんには大変失礼なものだと思うのだけれど。


エイゼンシュテインという、むかーーーーーーーしのロシアの映画監督が撮った「ストライキ」(多分そうだったと思う)という映画に、工場へ黙々と入って行く労働者が羊の群れへと変わっていくシーンがある。
経営者の抑圧に対して、ストライキを組織してくのだが、差別構造を利用して、労働者が団結しないように策略がくまれていく。




私が学生時代まで住んでいた長崎には、ダイヤモンドのマークの大企業があった。
選挙ともなると、正門にものすごい人が集められ、組合が推薦する候補者が立候補の挨拶をしていた。
そして、選挙期間中には私たち家族が住んでいた県営住宅の公園には、ダイヤモンドのマークの会社や関連の会社で働いている人たちの家族が集められ、誰がきたか名前がチェックされていた。
働く、とうことが、政治的な信条までもを支配されることになるのだ、ということをまざまざと見せられた。

長崎でみた光景が、その映画と重なり、羊というとどうもこういうものを思い浮かべてしまう。


さて。
本物の羊さんは、私にどんな思いをもたらしてくれるのだろう。
こんなことを思い浮かべていることを知ったら、突進されるか、も。
長いつきあいをお願いしたい。






2013年3月4日月曜日

熊谷弾丸ツアー ふるさと牧場 それから

いやはや。
2月16日に行った弾丸ツアー報告がまだ最終にならないなんて。
春めいてくると、ともかく忙しくなるのであります。
すみません。

やっとふるさと牧場に到達。
入場料は無料。奥の小屋に山羊や羊、烏骨鶏などが。

二重扉になっている。山羊は角が、ね。

ここも緒方さん(池田さんのご両親)の古くからのお仲間がたちあげて運営されているしょうがいしゃ団体が、ボランティア活動の一つとして開設しているところ。
ボランティア活動で動物と触れ合えるって。

とても人なつこい穏やかなワンちゃんがお出迎え。

別に反省しているわけじゃないので。

そりゃ、山羊だって痒いところはありますわな。

あかるい農村という、黒山羊さん。お手紙食べるのかしら。

とぼけた顔した羊さんだなぁ、と思ったさ。
このおとぼけ羊さんがみんな畑にくることに。
羊も山羊もつながれてはいるけれど、触れる。
人を見慣れているのか、みなさん穏やかで〜。
黒、白、ブルーグレー、白と茶、など、いろんな種類の山羊さんがいらした。
ここの世話人の方が仕事でいらっしゃらなかったのだけど、
あーーー、山羊欲しいーーー、と言いいながら見学して。

さて次は。
深谷に行き、緒方さんの農家さんにお会いし、ワーカーズコープのお豆腐屋さんを見学し、そして「緑の王国」の見学と、てんこ盛りの一日。
ワーカーズコープや緑の王国はいろんなヒントをくれた。
その後は、もちろん反省会もして。

それにしても、「有機農業と福祉の可能性」はやっぱりありだわ。

後日。
羊がみんな畑にやってくることに。

ただいま小屋作成中!!
それはまたそのうち。



2013年2月28日木曜日

野の暮らしはこんなことをしています

 野の暮らしは、年齢やしょうがいの有無、学校に行っているかどうかに関わらず、
苦しいとき安心して悩んでいられる場、暮らしを基盤とし、一緒に食事をつくり、食べ、遊び、働き、生活の中から確かなつながりと学びを得られる場、そんな居場所づくりのために活動しています。
2009年に、「コミュニティガーデンみんな畑」と「野の暮らしおうち(通称畑の家)」の運営を始めました。

  コミュニティガーデンみんな畑
国立市谷保の、住宅が建ち並ぶ中に残されていた農地が私たちの畑です。
正確には宅地なのですが、家が建てられないので農地として使われていたわけです。
数年間耕作されていなかったその畑を、2009年10月より借り受け、投棄されたゴミの処理、開墾をおこない、11月末には4種類の小麦をまくまでになりました。

個人毎の区切りをつくらず、恊働で畑作業を行っています。
今年で四度目の春を迎えました。
草ぼうぼうだった畑。でも草はなんてことなかった…な。
笹の根とヤブカラシの根を、いわゆる「根こそぎ」にしようとしているところ。
畑みいこさんと名付けたご近所ネコさん。本名クーちゃん。
開墾を始めた時からずっと私たちにつきあってくれています。
3年前のみいこさん。若い…… かわいい…… 今もかわいいですけど。

2013年2月27日水曜日

考えていたこと

弾丸ツアー報告がまだ残ってはいるのですが。

ここのところ受賞や取材の関係で、東京新聞やインターFM、そして「散歩の達人」に掲載されています。
同じ質問がされるわけではないのですが、自分がなぜこの地域で居場所活動をしようと考えたかを再確認することもあり、これまでのこと、これからのことを考え続けています。
だからこそ、熊谷へも出かけましたし、自分の志向がやはり「農商工福祉をつなぐこと」にあるのだなぁ、と改めて思ってもいます。

書類をつくるためにPCに保存している書類を探していたら、こんな文章に出くわしました。
4年前の私の文章です。
どこかに掲載されたわけではありません。
パンフレットをつくるための草稿として書いたものだったと記憶しています。

ブログに載せて、自分への戒めにしようと思います。






谷保は国立市の「もともと」をつくってきた地域です。
ハケの上には国分寺崖線に続く雑木林と桑畑が広がり、坂下には田んぼや梨畑がひらかれた、水と緑豊かな自然に恵まれた地域でした。
その雑木林が切り開かれ、大規模な宅地開発が行われました。
中央線の国分寺と立川の間に駅がつくられ、それぞれの一字をとって「国立」という名がつくられ、直線的なまちがつくられていったのでした。
文教都市「国立」。
大学通りはそのシンボルとなりました。
その一方で、谷保は元々の呼び名「やぼ」を「やほ」と変えました。
まちづくりのビジョンもないまま家々が建ち並び、谷保のまちは姿を変えていきました。
無秩序に開発されたまちは、一方で細い路地や歴史的な遺構や屋敷林や農地などがあり、祭りのための笛や太鼓の音が響き、季節ごとの風習がかろうじて残された複層的な表情を持つまちでもあるのです。
それは谷保に住む人たちがつくってきた歴史であり地域の力ともいえるものです。

それでも。
個人の努力だけでは抗いがたい流れに、様々な人たちの恊働とシェアによって問題を解決しようという試みを、この谷保から発信しようとしています。
わずかに残された農地と細い道でつながった家は、持続可能な農業や暮らしを提案する「場」となり、人と人とがつながる「拠点」となるにふさわしい場所です。
「野暮」だと思い込んでいたことにこそ魅力があふれていたことを再認識し、年齢や職業や様々な違いを持つ人たちが集まり、その違いを認めながらつくりだそうとしている価値は、不安に彩られたこの時代の中で微かでも希望の種になることでしょう。




中途半端な終わり方ですね。
私はこの4年何をしてきたか。
そして何をしていくのか。
いつもいつも問われるなぁ。

2013年2月26日火曜日

弾丸ツアー さらに続きで


弾丸ツアー報告も3回目。
たった一日のことなのに未だたくさんのことを書かなきゃ、という感じ。

「おにっこハウス」で食事をした後、味噌をつくっているところを見学し、その後平飼いの養鶏場にやってきた。
 
上の写真は成鳥、下は雛。
風も光も入る鶏舎で 育っていた。
美味しいわけだよ、と感じる前に、こんなに広い場所があっていいなぁ、と思ってしまう浅はかさ。
谷保には天満宮に野良?鶏がいるけれど、農家さんたちは鶏の声や匂いなどで今は飼っているひとがほとんどいない。

人家から少し離れた場所で、平飼いできる環境がある。
そしてそれを活かして事業へつなげている。
で、いいなぁ、と思ってしまった次第。


そしてその後は、ふれあい牧場へ。







またまた訂正です、ごめんなさい!

前回書いた「弾丸ツアー 熊谷編」の文章を訂正させてください。

そして、この「おにの家」を運営されているのが、池田さんのご両親なのだ。
の文章を以下のように訂正します。

おにっこハウスは、NPO法人 おにの家が運営されている。

度々の訂正ですみません。

2013年2月21日木曜日

弾丸ツアー おにっこハウス

さて。
小川町から昼食を食べるために熊谷にある『おにっこハウス』へ。
小川町の案内をしてくださったオブチさんもご一緒に。
実は、ここが来たかったところ。

「おにっこハウス」は、地域福祉活動グループ「おにの家」が運営している喫茶・直売所。
「田舎のカフェ おにっこハウス」。






ハンディのある人もない人も、「一緒に働ける仕事場をつくろう」「気軽に遊びにこられる所をつくろう」と、1987年に小さなお味噌屋さんをつくったところから始まったとのこと。
その後、平飼いの自然養鶏法による「地卵」づくりも始められたとのこと。

土曜日だったからか満席。
女性が多かったけれど、家族連れもいて、食事を楽しんでいらした。
食べたのは日替わりランチ。それに地卵をつけていただいた。
ご飯は熊谷産特別栽培米、野菜も地元野菜。味噌は当然自主製品。もちろん卵も。
それにご飯とお味噌汁はおかわり自由。
これで840円。(土曜価格、平日は730円・卵なしの値段)

他にも、おにっこ地鶏のハンバーグや親子丼、カレー、パンプレートなど。
デザートもプリン、ケーキなど。
味噌、麹、卵、鶏をつかった製品もいろいろあって、なるほどね〜、とうなってしまう。
味噌の大豆も地元産だし。

そして直売しているものは、ご近所の農家さんのお野菜やお豆腐、東毛酪農の乳製品、施設や作業所のてづくり製品と、一貫している。

そして、この「おにの家」を運営されているのが、池田さんのご両親なのだ。
話しには聞いていたけれど、活動から働く場をつくり、それを少しずつ拡げ、定着させていくって、どれだけ大変か想像に難くない。

美味しく食べて、たくさんしゃべって、満足したところで。
さて、次はどこ〜?

ごめんなさい! 訂正します

前回書いた、「弾丸ツアー」の文章について訂正します。

小川町で紹介していただいた オブチカズオさんのことを書いた部分の訂正をします。
以下オブチさんからいただいた文章をそのまま載せますね。

一点目は、私はタイで学校を作っていません。
村に学校が無くて学校に通えない子供たちを預かって、学校に通えるようにしている「子供の寮」を見学したことがあるだけです。(そういう寮の運営をしたいという夢を持っていたことはあります。)
もう一点は、ベリカフェには私は関わっていません。
「べじたべり」が、当初は「つばさ・游」のもとでベリカフェの店の前で営業していたので、その話と混同したのだと思います。

ちゃんと話しを聞いていなかったのだなぁ、と反省。

オブチさん、ごめんなさい!

2013年2月19日火曜日

弾丸ツアー

2月16日土曜日の朝7:30、家の前に迎えの車。
運転手は池田、助手席はすがい。
『隣る人』実行委員二人。

池田さんのお母さんプロデュースによる「有機農業と福祉の可能性ツアー」。
あっちに行き、こっちに行き、それからあそこに行って。
方向感覚が優れていると自負している私も、一体どこ(行政区)にいるのか皆目検討がつかない有様だったけれど、乗ってれば着く、という有難いシステム。


で。最初に行ったのは埼玉県小川町。
 たべる幸せ野菜 ImLab のオブチカズオさんを紹介していただいた。

タイの少数民族や国境近くの難民のこどもたちのために学校をつくったり、長野で不登校のこどもたちとの共同生活をされ、その後小川町の金子さん(霜里農場)のところで研修を受け、新規就農されたという方。
お仲間と開いている直売場を訪ねた。

べじたべり。Organic Market。
野菜の種類は時期が時期だけにあまり無かったけれど、お菓子、麺類、竹の食器など、参加している人たちの得意なことを持ち寄った直売所だった。
新規就農した人にとって販売は課題。
ここに集まっている人たちは、直売するということで緩やかにつながっているそうで、他にも直売しているところがあるとか。
この日は風が強くて、芯から冷える日だったので大変だったと思うけれど、定例の直売は休むわけにはいかないよね。









                                         

さて次は、小川町の朝市。
小川町には何度か来ているけれど朝市は初めて。
朝の9時半に演歌が聞こえていた。
 商店街主催の朝市だそうで、霜里農場も出店している。
ごく普通のものから、かなりこだわったものまで、いろいろなものが並んでいた。

演歌が流れているかと思えば、なにやら不思議な音楽が聞こえて来たり、どうやら音楽のジャンルには一切のこだわりがないみたい。

演奏する人、それを聞く人。
並べられた椅子に腰掛けて、ゆるやかな時間が過ぎているようだった。


この近くには、霜里農場と市民の協働による「べりカフェ つばさ・游」がある。
日替わりシェフのカフェ。
以前来た時に昼食を食べたのだが、さすがにこの時間には開いていない。
オブチさんも関わっているとのこと。
美味しかった思い出が。
ざんね〜ん。







さて次は、オブチさんが研修された霜里農場。
小川町下里地区で有機農業を始められた金子さん。
地区全体が有機農業に取組んでいるその中心的な存在。
この家の2階が研修生が住まうところ。
薪ボイラーで床暖房とお風呂がまかなわれているそうで、ボイラー室もそれなりの広さ。
屋根には太陽光発電。
耕作機械や金子さんの車は、天ぷら油の廃油を遠心分離機にかけたもので動き、作業場のストーブは天ぷら油の廃油をこし器を通して使うというもの。
天かすみたいなのがこし器に残っているのが面白かった。
2次燃焼までするから煙がでないとのことで、煙突が外に出ていないのにも驚き。
排泄物からはメタンガス。
自然エネルギーを使うことが徹底されていた。


場内には、牛、鶏、合鴨も。
向こうに見えるのは平飼いの鶏。
手前は、役目が終わった合鴨。
鴨肉として食されるとか。

田植えの時期になると合鴨のひよこがやってくるらしい。


フェンスの向こうに見える人影は、就農準備校の人たち。金子さんが指導していた。

下里地区は、地区全体で、米・麦・大豆を区割りして、まわしてつくっている。
収穫した大豆は、都幾川にある「とうふ工房わたなべ」さんが全量買い取り。
安定した買い取り先があることも、地区全体が有機農業に取組んでいる誘因になっている。

ここで研修し、就農したオブチさん。
畑は、高齢化等もあり借りることはできるけれど、農家を借りることができない、とおっしゃっていた。
畑はあっても、はざかけする場所や、雨に濡れない作業場や保管場所がなければ、とっても大変なことになる。農家のつくりは必要から生まれたもの。
私たちも経験してきたからわかるわ〜。


というところで、午前の部、終了。

2013年2月18日月曜日

TOKYOへ行ってきた

東京に住みたい、と数年前娘が言っていた。
ここだって東京なんだけど、と私。
おかあさん、ここは多摩地域。都下ですから。
じゃあさ、都内だけが東京だって思ってる訳?

なんてつまんない会話をしてたんだろ。

 TOKYO EARTH WORKERS COLLECTION 受賞関連で、インターFMの番組に出ることになって、収録に出かけた。
MCは、井手迫義和さん。環境ナビゲーターとして活躍されているとのこと。
2月3日の司会をされていた。

5分間番組の中で2分間のコーナーに出る、ということで3つぐらいの質問に応え、それが編集されるらしい。

 あっと言う間に終わったのだけれど、結構面白い体験だった。

井手迫さんもデレクターも当たり前に靴を脱いでスタジオ入り。

土足禁止だそうな。
土?
足音?
何が禁止されていることなんだろう。

写っているのはスタジオの中のディレクターがいるところ。
その奥に、話すところがある。

いやあ、こんな風になっているんですね。

そして、守衛さんに挨拶をして天王洲スタジオを後にした。


 スタジオの横には川。運河かもしれない。
水門があり、引き潮のようだった。
雨が降り出す中、水鳥が浮かんでいた。

油まじりの潮の匂い。
長崎からはほど遠く、それでも懐かしい潮の匂いだった。

さて放送ですが。
放送局 interFM(76.1MHZ)
番組名 TOKYO EARTH WORKERS collection 2013  
放送日時 2月23日(土)13:53-13:58

どんな話しになったか。
良かったら聞いてください。



2013年2月15日金曜日

なるほど、ね

畑の家にきているIくんとRさんが、落書き?大会。
最初は地図を書いていたんだけれど、何故かそこからあれこれ描きだして…。
ONE PIECEに出てきそうなキャラは?というお題で描いたものを撮らせてもらった。
おもしろ〜い、なるほどね〜!

2013年2月13日水曜日

農園祭日程変更!

以前お伝えしていた農園祭の日程が変更になりました。
申し訳ありません。

そして、ようやく農園の名前が決まりました。

「農家+市民+国立市による新しい農園『くにたち はたけんぼ』」。
ここまでが名前です。普段は、はたけんぼ と呼んでください。
畑と田んぼがある農園だから、はたけんぼ。
ダジャレと笑うなかれ。
ポータルサイトは『あぐりっぽ』(アグリカルチャー+ポータルサイト)だし。
呼びやすい名前を考えたつもりなのです。

はたけんぼ農園祭は 3月30日(土)10時〜  (予備日 31日(日))
 田んぼづくり、ジャガ芋植え、耕作機や道具の体験があり、振る舞い餅つきもあります。
午後からは、谷保の農家さんと自然を知るツアーを予定しています。



参加しようと考えていらっしゃった方たち、ごめんなさい〜!
日程は変わりましたが、是非遊びにきてください。

詳細はフライヤー作成後に。

2013年2月12日火曜日

みんな、めんどくさい人じゃん

畑の家の庭に咲く冬咲きクレマチス。
寒い寒いこの時期に花を咲かせている。

「畑の家」を始めてから3年が過ぎた。
最近は、いろんな相談が寄せられるようになってきた。
実際に来る人もいれば、まだまだ顔を出せない人もいる。
でも、この「畑の家」という不思議な空間が必要とされている現実があるのだ。
学校でも家庭でもなく、ましてやフリースクールでもない。
そんな「畑の家」。
働いていても、人と話をしているという実感があるのはここだけ、という人もいる。
ここで初めてトランプをした人もいる。

そんな「畑の家」のこれからのことを数人のメンバーに相談した。
利用するという立場ではなく、支える側に立ち位置を変えてみるというのはどうだろう?

責任は負いたくない。
義務感は嫌だ。

そうだよね。
でも私は知っている。
なんだかんだ言いながら、それでも「その人」が現れたら、話しを聞き、話しをし、優しく対応することを。

苦しさを抱えながら生きてきた人。
当時者性というべきか。
静かに深く共感する、その感じが、相手を素にさせてしまうのだろうと思う。

だって。
めんどくさい人が現れたらどうするんですか?
と言うメンバーに、
大丈夫だよ〜。みんなめんどくさい人じゃん。
と笑って言い放つ。
私が口を挟まなくてもそんな会話になっちゃうんだもん。

「畑の家」以外に、働く場はあるのだろうと思っていた。
ここに通う人たちの力をここで仕事にすれば良いのだ。

学校に行かない、という一見常識から外れたような人生が、だからこそ大切な関係を生みだしていく。






2013年2月10日日曜日

ご、ごめんなさい……

金曜日。
みんな畑はお休みモードだけど、Wさんと一緒に納屋の片付けをした。
中にあるものを全部出して、取り出し易いようにと片付けていたら。

ヤモリ様が。
それも食べるものがないらしくやせ細ったヤモリ様が。
あ〜ん、すみましぇーん。
慌てて納屋の隅に戻した。

何故か、片方が赤目になっていた。

大丈夫かなぁ。


自分を育てる

先週火曜日。
長男が、「風邪だと思います。仕事休みます。」と鼻をぐしゅぐしゅしながら言った。
長男は、多摩市にある あしたや恊働企画 という事業所で働いている。
電話で欠勤の連絡をし、私は自分の仕事へでかけた。
そして、午後2時過ぎ帰宅すると、「病院へ行ってきました」とのこと。

え〜〜〜〜〜ッ!?
しこたま驚いた。

「二時間も待ちました。待ち時間が長過ぎます。」
「そうかぁ、風邪のシーズンだもんね。まさかインフルエンザじゃないよね?」
「先生に話しました。インフルエンザではなかった。熱もありませんでした。」

と、あれやこれやのやりとりをしてわかったことは。

一人で病院へ行き、診察の受付をし、ひたすら待って、先生に病状を話し、検査をし、お金を払い、処方箋を持って、(病院の近くの薬局へは行かず)駅のロータリーにある薬局へ出かけ、帰宅し、昼食を食べ、薬を飲んで寝ていたら、おかあさんが帰って来て起こされた、ということだった。

こんなのあたりまえじゃん、と言われることかも。
でも私は本当に驚いたし、嬉しかった。

ぜーーーーーーーーーんぶ、ひとりでやったのだ。
そして、本当に彼らしいのは、病院へ行く前にちゃっかり、以前通っていた「くじら工房」に顔を出し、お気に入りの女性に声をかけ、それからおもむろに病院へ行ったということだ。

なんてヤツだ。
しかも熱がないだと?
確かに鼻水は出てるかもしれないけど元気じゃん。

そんなことを話す母に、長男は「明日は雪ですから、木曜日から復帰します。」だと。

親が想像する以上に、こどもは自分で自分を育てているんだ。

追記
嬉しくて関係各位に報告したさ。
本当にいろんな人たちのお陰で育っている、という実感が溢れてきた。
そして、みんな畑に参加している人(くじら工房のボランティアスタッフで長男と顔見知り)と病院で遭遇したこともわかった。
でも二人とも挨拶しただけで話さなかったんだって。
まったく!どちらも人見知りでシャイでいらっしゃるからなぁ。
話しかけてよ〜、と(別々に)言ったら、二人とも何ともいえない笑顔だった。

みんなみんなありがとう。











2013年2月7日木曜日

工事がすすんでいた

今日は木曜日。
何となく休みの日にしている。
予定が変更になり無くなったのを良いことに、ちょっと自転車で散歩。
とはいえ、久しぶりに城山南に行ってこよう、と思ってしまった。
つくずく貧乏性。

行ってみたら、通行禁止エリアがあった。
迂回しながら古民家方向へ自転車を走らせた。

道路ができていた。
そして電信柱がにょきにょき。

想像していたさ。
こんな風景になるって。
だから、どうにかしたかった。
 用水は開渠のままにして欲しかったし、小堀はなくして欲しくはなかった。
6mの道路も要らないと思っていた。
電信柱も地中化して欲しかった。
風景を大切にする区画整理をして欲しかった。
頑張ってみたけど結局こうなった。
今でも胸が痛い。
古民家の南側に通路。作業用の軽トラが入れるようにとのことらしい。
でも。
まちづくりは終わっていない。

暗渠にされた用水の管理に素人が手を出すことは難しいだろう。
人の手から離れ、関心がなくなった後の暗渠の用水はどんな姿になるのだろう。
…想像がつく。
池の浚渫(しゅんせつ)作業中?

まちづくりは終わっていない。
城山南は、里山づくりの地域になる。

山懐に抱かれた地域からすれば、笑われてしまうかもしれない薄さの里山かもしれない。
それでも、城山南に風が吹き始めた。

公園の池が復活する。
池は湧水からの水で満たされるはず。
池に流れる湧水。石の上の植物は外来種。
ヤクルトの北側の水路に大繁殖している。
 諦めかけていたことが、数年後にこんな形で戻ってきた。

まちづくりは終わってはいないのだ。



ここも湧水。池へ向かう水路より用水に水が流れている。
工事をして池へ流すらしい。
ここにも特定外来植物が繁茂している。