2012年5月10日木曜日

虔十

先週の水曜日。
雨の中、東中野へ出かけた。
レイトショーの映画を見るため。

一ヶ月程前に、『飯舘村は負けないー土と人の未来のために』千葉悦子、松野光伸著(岩波新書)を読んだ。
安易に合併すること無く、村民も村の職員も一体となってつくってきた村。
その努力が形となってあらわれ始めた矢先に原発事故が起こったのだった。
そして全村避難。
いつ帰れるかわからない。
でも、できることはする。
絶望と希望の光と。

読み進むうちに、私は『アレクセイと泉』を見なくては、と思ったのだった。

26年前の、1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発(現ウクライナ共和国)の爆発事故で被災した、
ベラルーシ共和国東南部にある小さな村ブジシチェ。
この村の学校跡からも、畑からも、森からも、放射能が検出される。
全村避難。
地図からも消された村。
だが、泉からは放射能は検出されない。
百年前の水だから、というのがその理由らしい。
その泉の水をたよりに50人ほどの人たちが暮らしている。
高齢者ばかり。
唯一アレクセイだけを除いて。

孫たちにはあまりこの村に来ない方が良い、という。
けれど自分たちは生きてきたこの大地から離れようとはしない。
アレクセイもまた、そんな両親と共に、そして村の高齢者と共に生きている。
淡々とその暮らしが映し出されていく。
古い古い機械を修理し、自分でできるものは何でもつくりだしていく。
暮らすとはこんなにもクリエイティブなことなのかと、つくづく思い知らされる。

そして映画の最後。
この村の放射能の検査値が映される。
美しいこの村は汚染された村なのだ。

そして昨年。
日本でも原発事故が起こった。
汚染された村。汚染された田や畑。
そこに帰るか。そこに種を蒔くか。
福島の多くの農民が苦しみ悩み、厳しい選択を迫られている。
アレクセイは遠くに生きているわけではないのだ。


それでも種を蒔く。
私は。




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