2013年5月6日月曜日

思い出す


4月5月は、母と父を亡くした月。
だから、なんとなく、母や父を思い出す。

偉丈夫でハンサムだった父。
私はこどものころ、父のことが大嫌いだった。
信念の人で、その信念のせいでこんなにいじめられるのだと思っていた。
お腹が痛くて痛くて学校になんか行きたくないのに、病院へ連れて行かれ、
どこも悪い所はないから、と学校へ行かされた。
行きたくなかった。学校なんか。

死ねばいいのに。
そんなことばかりを考えていた。

少し父への感情が変化してきたのは、中学生を過ぎてから。

高校生になって、母に、どうして父と結婚したのか、と聞いた。
母も私と同じく、父の信念の犠牲になったと思っていたのかも知れない。
そうしたら、好きだったから、と実にあっけらかんと答えられた。
自分が父を選んだのだと。
母が父より年上なこと、父の仕事に対することなどで、双方の親たちに反対され、
駆け落ちしたのだといった。

へんな気分だった。
父と母の間に恋愛というものがあったこと。
二人が自分で決めて生きてきたこと。

犠牲になんかなってないよ、そう言った。

私が東京へ行き、仕事を始めた頃、母の手術で呼び戻された。
父は、入院している母の病室には入らず、廊下で本を読んでいた。

病院にきてるとに、いっちょん部屋に入ってこん。
母は不満顔だった。


それから母は入退院を繰り返した。
その間に私はこどもを産んだ。
母は病気の身体で、私と産まれたばかりのこどもの生活を支えてくれた。
一ヵ月後。
父は、東京に出張のついでがあったから、と、母と箱根に泊まり二人一緒に長崎へと帰っていった。

それから10ヵ月後に母は亡くなった。
私は毎日母にはがきを送ったけれど、母の癌に気がつかないだめな娘だった。
母が亡くなって、あの本ばかり読んでいた廊下で、実は父は本など読んでいなかったのではないか、と気がつくバカな娘だった。

ハンサムな父に、美人と結婚してくれていれば私は美人に生まれたのに、と言ったことがあった。

そしたらお前は生まれとらん。
一言で片付けられた。

父と母。
二人の間に私は生まれた。

死ぬために生きることを教えてくれた二人。
ありがとね。

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