よく始めようと思いましたね。
誰もやっていないことを始めようと思ったのは何故ですか?
誰かが始めたことに参加することだってできるのに。
そう言われた。
そうなんだね、きっと。
一番最初って、先に何が待ち受けているかわからなくて。
風もモノもぶちあたってくるし。
吹きっさらしのなかにいるようなものだものね。
まあ、考えの浅い愚か者ということで。
亡くなった父は、私が小さい頃に、失敗してもいいんだ、ということをよく言っていた。
人生は理科の実験のようなもの。
仮説をたてて実験し、実験が失敗したら仮説を立て直し、何度でも実験すればよいのだ
、と。
失敗することは実験したということ。
仮説だけではそれが正しいかどうかわからない。
だから失敗をおそれるな、と。
コーヒーでいいや、じゃなくて、コーヒーがいいと言いなさい、と厳しい父だった。
そうやって育てられた私が、しょうがいのあるこどもを産んで、それからいっぱいいっぱい
いろんなことを考えた。
しょうがいのある子も健常といわれる子も、私のこども。
私は産み分けはしていない。
何故、しょうがいがあるが故に区別されなければならないのか。
そんなところから私の「初めて」は始まったのかもしれない。
お陰で、たくさんのひとに出逢えた。
決めればいいんだよね、コーヒーがいい、と。
決めてしまえば、先行きの不安は、何が起こるかわからない可能性に満ちた未来となる。
私だってよそ者だったのよ。
でもね、よそ者が変える力になるのよ。
馬鹿者、おおいに結構。
そう朗らかに笑ったのは、私の先行く先輩の女性。
なにかを決める。
それがどんなに小さなことでも。
自分で決める。
そうすると。
不思議なことに、つながり始める。
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