2012年11月28日水曜日

やぼろじガーデンパーティ 開催します

やぼろじのガーデンパーティが開催されます。
野の暮らしは、ふるまい餅つきをおこないます。
谷保の有機もち米でつくお餅の美味しさを味わってください。
また、数年取組んできた『農業・農地を活かしたまちづくり』を考えるトークセッションも企画しました。
ぜひご参加ください。

やぼろじ ガーデンパーティー vol.6

やぼろじで出会う"食"と"農"
"食"と"農"をテーマに開催する、第6回やぼろじガーデンパーティー。
おいしい野菜やごはん、楽しいワークショップなどに触れながら、
国立の"農"を活かしたまちづくりや
農地の活かし方について、少し考えてみませんか?
どなたも入場無料ですので、ぜひ遊びにいらしてください。
日時:2012年12月16日(日)10:00〜16:00(雨天決行)
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出店&ワークショップ&ライブ
【ごはん】
パンとお菓子ミモザ [パンとお菓子]
甲州街道市 [旬の野菜直売](国立市、北杜市/山梨県)
circle-coffee [コーヒーとベーグル]
すみや [お弁当と飲み物]
たいやきやゆい [たいやき]
タウンキッチン [豚汁]
フルタヨウコ [ジャムと飲み物]
歩成 [ほうとう]
やまもりカフェ [おでんとBBQ]
WAKUWORKS [石窯ピザ]
【くらしのどうぐ】
musubi [器・布・かご]
小池正浩 [陶器]
西本良太 [木工]
【ワークショップとライブ】
core garden[クリスマスリース作り]
みかみ木工 [子ども木工教室]
やぼろじ音楽隊
うた&ギター:山根かずき/ギター:坂野いぶき
ベース:福成 優/ピアニカ:大和田ようこ
【特別開催】
野の暮らし [ふるまい餅つき]

トークイベント Yabology TALK SESSION
会場:和室 | 参加費:無料| 定員:40名(当日先着順) | 事前申し込み不要
第1部:11:00~12:00
テーマ:国立市の農業・農地・里山環境を活かしたまちづくり
話し手:佐藤一夫市長(国立市)
聞き手:饗庭伸(首都大学東京准教授)
※当日は選挙のため、やむを得ない理由で中止となる場合があります。
第2部:14:00ー15:00
テーマ:農地を活かしたまちづくり
話し手:佐藤英明(国立の農家)
    小野淳(国立ファーム)
    フルタヨウコ(編集者・料理家)
聞き手:丸山晶崇(グラフィックデザイナー・Yabologyメンバー)

Planning & Management: Yabology
Graphic Design: Maruyama Masataka
Copy Writing: Tamura Madoka
Live Produce: Fujita Rinko
お問合わせ先 : Yabology 事務局
e-mail : mail@yabology.com
www.yabology.com
www.facebook.com/Yabology
※お車でお越しの方は、近隣コインパーキングをご利用ください

ヨガの日

今日は2週間に1度の、やぼろじ朝ヨガの日。

頭の中にある悩みや考えをこの時間だけは手放しましょう、手放すのは難しいけれど、自分の頭の中にあるものと距離をおきましょう。

メイ先生が優しく語りかけるその声にも和らいでいく。

呼吸を感じる1時間。

2012年11月27日火曜日

空をみあげた

おじいちゃんが死んだ時のこと覚えてる?

突然の問いに次男が驚いていた。


覚えてない。

えッ?覚えてないの?

うん。

そうかあ、覚えてないかあ。

でも、おじいちゃんは空にいったんだなあ、って空を見上げてたことは覚えてる。


父は長崎、私たちは東京で暮らしていた。
夏になると長崎に帰り、海に遊びにでかけた。
こどもたちは私の母を知らず、父はそんな孫たちを可愛がってくれていた。
父が入院しても、ずっとそばにいられるわけではなかった。
ある夜、次男が突然激しく泣き出した。
わけがわからなかった。
しばらく泣き叫んだ後、ようやく落ち着き、寝入った直後だった。
兄から、父が亡くなった、と電話があった。
翌日長崎へ帰った。
父が荼毘に付されているとき、私はこどもたちと外にいた。
あのとき、たちのぼる煙をみていたっけ。
その時次男は5歳。



それからしばらく、次男は深夜に泣いておきた。

おじいちゃんはどこにいったの?
おかあさんはしぬの?
ボクはしぬの?
ボクはどこにいくの?

そんな問いを繰り返した。
どれくらい続いたか。
寝ぼけ眼の私は、抱きしめながら、お空にいったんだよ、とか、心の中にいるんだよ、とか言っていたに違いない。
一ヵ月も経った頃だろうか。
何かを納得したのか、もう夜中に起きることはなくなった。

この頃、突然父や母を思い出す。
お空にいったんだよ。
お空から見守ってくれているんだよ。
そんなことを言っていたかつての私。
今は、畑の草むらの影、林のざわめき、ふく風の中に父や母を感じる。
うーーーんと遠くの空の上ではなくて、私の直ぐそばにいる感じ。

年齢を重ねてきたからかな。

そういえば。
次男が小学校に入学した年の母の日にこんなカードをくれた。

いつまでいきているかわからないけど、げんきでがんばってね。

あれからもう20年近く。
まだ元気に頑張っている(つもり)。







2012年11月24日土曜日

土地がなつく

すがいちゃんに土地がなついてるんだよ〜。


そう言ってくれたのは、畑の開墾からのことをよく知っている友人。

誰も使わなくなってたところを見つけて、開墾してさあ。
やぼろじだって草刈りから始めてさあ。
畑するだけでも大変なのに、路地の掃除もずっと続けてるしさあ。
相続で林が無くなるかもって、市役所のなか駆け回ってさあ、自分の土地でもないのに。
そうやってすがいちゃんがしてること、土地はちゃんと見てて、なついてるんだよ。

やぼろじが魅力的なのは、やぼろじの敷地だけではなく、畑や公園の樹木や、屋敷林や、そういった地域の魅力に支えられているから、ということを言ってくれたのだった。

土地がなつく。
嬉しい表現だった。
なついてくれる土地に恥ずかしくない自分でいたいな。

2012年11月19日月曜日

お土産

11月16日のみんな畑の作業は、残っている青菜類の種蒔き、玉ねぎ苗の植え替え、ヤーコンの収穫、そして間引き。

隣の公園の樹木の高さがあるので、日射しも午前中でなくなってしまう。
日射しがあるとポカポカと暖かいのに。
もう冬の気配。
霜が降りる前にやることがあるけれど、夏の作業にくらべたらのんびりしたもの。


 これはヤーコン。
シャキシャキした歯触り。
きんぴらにする人が多い(私も)そうだけど、明峯さんによると、生でサラダにしても美味しいそう。
明峯さんにいただいた苗を桃の木の下に植えただけなのに、たくさんなってくれた。










みんな畑の作業のあと、杉並にある『くらすことカフェ』にお邪魔することになっていたので、藤田ゆみさんへのお土産を畑のものでつくってみた。

山東菜、小松菜、ターサイ、大根、ヤーコン。
菊とフジバカマは彩りに。

食べることのすぐ傍らに畑があるっていいよなあ、と自画自賛。


時をためる

御代田行きの前日。
20数年つきあっている友人たちと、神代団地にある『手紙舎』と、武蔵境駅前の『武蔵野プレイス』へでかけた。
午前中はみんな畑の作業だったので、午後からいそいそおでかけ。

2-3ヵ月に一度会っている。
「行きたいとこがあるのー」とメールがきて『手紙舎』へ行くことになり、「それなら武蔵野プレイスにも行こうよー、面白いとこなんだよ」と別の友人からのメールがあり、決まったのだった。
図書館のようなカフェを見に行こう、そう思っていた矢先に『手紙舎』、そして『武蔵野プレイス』は、御代田で『通い稲作塾』を開いている森田秀之さんのされた仕事。
友人たちにはまだ話していなかったのに、それぞれが誘ってくれるところがなんてタイムリー。
なんとまあ。
これって、長年の付き合いのなせる技?

そんな友人たちと楽しい時間を過ごした。

翌日。
御代田での作業の合間に、この話しをした。
森田さんの笑顔、見せたかったなあ。

2012年11月18日日曜日

気づきの旅 4 長野県御代田町へ

 遠野で知り合った森田秀之さんの『通い稲作塾』の脱穀作業に参加した。
11月10日のこと。
御代田の駅から車で数分の川沿いのところに田んぼがあった。

川向こうは切り立った崖、後ろは山があり、まるで秘密の場所のように囲われたところだった。

『通い稲作塾』は、季節ごとの行事に参加すればする程収穫したお米の値段が安くなる、という仕組みになっているそうだ。

地元の農家さんも一緒に脱穀作業をし、土鍋で炊いた新米のお昼ごはん、というコース。

私は、みんな畑からお土産として、椎茸と日本ミツバチの蜂蜜を持っていった。

脱穀作業のあれこれをしていたら、農家さんに仕事がきれいとほめられた。


ぐふふ。
嬉しい。


地元の方の中に、しょうがいのある方がいらした。

何とはなしに、その方のお母さんと話しをした。


御代田を離れ、東京で一人暮らしをされているとのこと。
東京の方が暮らしやすいから、ということだった。


国立には、『しょうがいしゃがあたりまえに暮らすまち宣言』というのがある。
しょうがい当事者の方たちが長年運動してかちとった制度もある。
そんな話しをした。
私の息子もしょうがいしゃ。
どう自立していくかは課題でもある。


間に合わないからね、って言ってあるの。
もし、東京で倒れても自分たちは間に合わないかもしれない。
離れて暮らすということはそういうこと。

親子で覚悟を決めているのだなあ。
きっと、揺れながら、それでも、手放す。
自分のもとから旅立たせる強さ。

初めて会ったのに。
脱穀しにいったのに。


会えて良かった。


あとは「限界集落じゃなくて宴会集落だあ」という人たちと、美味しいお酒を飲ませてもらった。

今度は12月始め。
また会える。

気づきの旅 3 山梨県北杜へ

11月8日、やま森カフェが取引をしている北杜市の農家さんを訪ねた。

畑作業をし、収穫したものでお昼ご飯をつくる、というスケジュールだった。

訪ねた農家さんは、大企業を辞め、新規就農して5年目の方。
女性で、一人で9反ほどの面積で農業をされていた。 ※1反=991.74平方m

畑で一緒に作業しながら、おてんとさまの話しになった。

畑にいると、自分の上には空しかなくて、いつもいつもおてんとさまが見てくれているんだなあ、という感覚と、いつもいつも見られているんだなあ、という感覚があるんですよねえ。

なんとなくわかります。
農業しようと決めたとき、実は得度したんですよ。

そうかあ。
それもなんとなくだけどわかります。

結局、自分の生き方のことなんだよね。

小松菜の畑に生えたシロザを取りながらの会話だった。

家に戻ると玄関のよく見えるところに、家族の連絡先が書いてあった。
聞くと。

一人だから、何かあった時に直ぐに連絡できるように貼ってあるの。

少しにこやかに普通の顔で答えがかえってきた。

本気なんだなあ。
その表情には少しも気負うところはなかった。


流行り

畑の家で今流行っているもの。
パズル。



15×15のマスに、数字が書いてあり、その数字と同じ数のマスを線で囲っていくもの。
Sさん自作のパズル。
結構難しいのだ。
だから解くのに集中してしまう。
すると作者のSさんは 退屈〜! と、うなる。

考えた方が良いのか、直感なのか。
解き方に性格がでるのですよ、これが。

気づきの旅 2 遠野へ

10月24日夕方、遠野へ。
目的の場所、クイーンズメドウ・カントリーハウスへ到着。
西村佳哲さんが、森田秀之さん、津田直さん、という方たちにも声をかけてくださってご一緒する。

遠野は南部曲り家と呼ばれる、母屋と馬屋が一体となったL字型の住宅で有名なところ。
馬と一緒に生活をする文化をもっている地域。
今では、馬も激減し、南部曲り家も姿を消しているらしい。
クイーンズメドウは、現代版の馬付き住宅を提案するため、建物だけではなく、山や畑、田んぼ、貯水池、水路など、時間をかけ、つくり続けている。






 田瀬さんに、広い敷地を案内していただいた。

田瀬さんたちが長い時間をかけてつくりだしてきたもの。
でもかつてはそこに生活があったことが見える。
こんな山の中。
そこに田んぼがあったりするのだ。
大きな石をどかし、その石を石垣に利用し、
動かせないほどの石は島のように田んぼにあり。
どのくらい前の人たちの仕事なのかわからないが、棚田がつくられていた。
そこは今、田瀬さんたちが稲を育てている。

 遠野へ発つ数日前に、町田市小野路の荒れた谷戸田を再生した農家の方の話しを聞いていた。

谷戸から始まるのです。
そう話されていた。
水が湧くところから田んぼをつくるのだと。
農家は、外から材を持ち込まず、そこにあるものを利用して何代も自然と折り合いをつけながら守ってきたのだ、と。
その方は、農家が伝えてきた手法が途絶えるかも知れないから、自分たちが今頑張るんだ、とも話されていた。

遠く離れた遠野で、その話しをかみしめていた。



田瀬理夫さん、西村佳哲さん、森田秀之さん、津田直さん、そしてやぼろじから和久さんが、それぞれその仕事をプレゼンした。

才能にあふれ、そしてそうとうに個性的な人びととご一緒している幸せを感じずにはいられなかった。




馬たちは、穏やかで、あたたかで、香しかった。
クイーンズメドウの馬たちももちろん素晴しかったが、最後に案内していただいた市営の放牧場で出会った馬たちも素敵だった。
最初は警戒したものの、大丈夫と感じると心をゆるし、そばに近寄ってきてくれた。
ゆっくりなでていると何故か涙が。
不思議なことに泣いているのは私だけではなかった。


東京へ帰る。
自分がしたいことは何か。
わかっているつもりだった。
迷いとは違う。
でも更に考えている。






2012年11月14日水曜日

気づきの旅 1 陸前高田へ

気づけばもう三週間が経ってしまったのか。
自分のなかで、どう文章にしてよいのか整理がつかないまま。
ぼんやりとしていたものが、ようやく見えてきた。

先月10月23日の夕方、やま森カフェでの仕事を早あがりして、陸前高田へと向かった。
本来の目的は、『農業・農地を活かしたまちづくり事業』の参考にするべく、
岩手県遠野市にある「クイーンズメドウ・カントリーハウス」を訪ね、
田瀬理夫さんにお会いし、その仕事を見せていただくことだった。
wakuworksの和久さんが、5月に西村佳哲さんと田瀬理夫さんに案内いただいて訪ねた後、
その素晴しさを聞いて、行ってみたかった。
百聞は一見に如かず。

遠野まで行くのなら、陸前高田まで足をのばし、
そこで活動している「なつかしい未来創造株式会社」の中野さんに会いに行こう、ということになった。

陸前高田。
行ったことの無いその場所は、それでも私にとって特別の場所だった。
20数年来の友人の故郷。
深夜に一関に到着し、翌日陸前高田へと向かった。

一関から陸前高田に向かう途中は、何事も無かったかのように平穏な農村風景。
それが、山を下り、視界が開けてくると…。

どこにも海が見えないところでさえ、津波の被害の痕が残っている。
もう1年8ヵ月もの日々が過ぎているというのに。

市役所だったところはまだ取り壊されておらず、たくさんの花束が手向けられていた。
祥月命日に訪れる人もいるとのこと。
捜索終了、の文字。
美しい花々。

がれきがきれいに処理されていた。
コンクリート、鉄くず、木材。
本当にきれいに分別されていたのだ。
そして、布。
たくさんの布が積み上げられているのをみて、涙がこぼれてきた。
こんなふうに分別していった人たちの心持ちを考えると。
どれほどの悲しさだっただろうか。
どれほどの虚しさだっただろうか。
希望は見えているのだろうか。

渦巻く思いだけがあった。
そうしてあちこちを見て回った。
最後は、女の人たちが運営している「りくカフェ」。
何を飲んでも300円。
テーブルの上には全国から送られたお菓子が並んでいた。
さほど広くはない店内だけれど、それでも人が集まり、話しをすることができる。
がれきを見ないでも済む時間。
誰かと一緒に楽しく話せる時間。
そこに行けばあの人に会える、ということ。


中野さんは、お母さんたちが集って働ける食堂をつくりたい、と話されていた。

苦しさを乗り越えることは難しい。
でも、隣に寄り添う人がいることを感じられるのなら。
せめて明日まで。
生きていてもいいと思えるかも知れない。
崩れ落ちそうになる自分のつっかえ棒になるのかもしれない。