畑の家の庭に咲く冬咲きクレマチス。 寒い寒いこの時期に花を咲かせている。 |
「畑の家」を始めてから3年が過ぎた。
最近は、いろんな相談が寄せられるようになってきた。
実際に来る人もいれば、まだまだ顔を出せない人もいる。
でも、この「畑の家」という不思議な空間が必要とされている現実があるのだ。
学校でも家庭でもなく、ましてやフリースクールでもない。
そんな「畑の家」。
働いていても、人と話をしているという実感があるのはここだけ、という人もいる。
ここで初めてトランプをした人もいる。
そんな「畑の家」のこれからのことを数人のメンバーに相談した。
利用するという立場ではなく、支える側に立ち位置を変えてみるというのはどうだろう?
責任は負いたくない。
義務感は嫌だ。
そうだよね。
でも私は知っている。
なんだかんだ言いながら、それでも「その人」が現れたら、話しを聞き、話しをし、優しく対応することを。
苦しさを抱えながら生きてきた人。
当時者性というべきか。
静かに深く共感する、その感じが、相手を素にさせてしまうのだろうと思う。
だって。
めんどくさい人が現れたらどうするんですか?
と言うメンバーに、
大丈夫だよ〜。みんなめんどくさい人じゃん。
と笑って言い放つ。
私が口を挟まなくてもそんな会話になっちゃうんだもん。
「畑の家」以外に、働く場はあるのだろうと思っていた。
ここに通う人たちの力をここで仕事にすれば良いのだ。
学校に行かない、という一見常識から外れたような人生が、だからこそ大切な関係を生みだしていく。
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