私が通ってた高校は進学校だった。
東大、京大、九大、長大、どれだけの大学に何人合格したかを競うのが好きな学校だった。
県立高校に進学するしかなかった私は、嫌いでもどうしようもなかった。
私は、といえば、入学間もなくおこなわれた志望大学調査に『長崎大学文学部』と書き、翌日教師に「長崎大学に文学部は無かー!」と大目玉をくらうような生徒だった。
それでも、話しができる先生たちが数人いた。
なかでも、美術の先生とは仲が良かった。
近所に住んでいたので、登校の時に出会うと車に乗せてくれた。
先生の愛車のおんぼろフォルクスワーゲンが待っている駐車場にいくためには、私たちが歩いて行く方向とは逆に小学生たちがやってくる道を通らねばならなかった。
わらわらとやってくる小学生たちの間をぬうように歩いていた時、先生がいった。
なんで教師ばしとると思う?
先生は、画家としても生きていけるひとだった。
ひとのにおいばかいだけんさ。
ひとにはそれぞれ違った個性があって、それがにおいのようにたちのぼってくる。
そのにおいはたまらなく魅力的で、それをかいでしまったからアトリエでひとり描くというのはもうできない。
ひとのなかにいて、いろんなことがおきて、そして絵を描いているのがいい。
だから教師をしてるんだ、といった。
せんせい。
わたしもひとのにおいばかいだごたっです。
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